大判例

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最高裁判所第三小法廷 昭和52年(あ)1240号 判決

本籍

静岡県浜松市入野町九二六八番地

住居

同 沼津市吉田町三七の八

遊技場経営

小田木定雄

大正七年四月八日生

右の者に対する所得税法違反被告事件について、昭和五二年六月三日東京高等裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から上告の申立があつたので、当裁判所は、次のとおり判決する。

主文

本件上告を棄却する。

理由

弁護人柴田政雄、同鹿児嶋康雄、同浅田千秋の上告趣意第一点について

同一の租税逋脱行為につきいわゆる追徴税と罰金を併科しても憲法三九条に違反しないことは、当裁判所大法廷判決の趣旨とするところであり(昭和二九年(オ)第二三六号同三三年四月三〇日大法廷判決・民集一二巻六号九三八頁、なお、同四三年(あ)第七一二号同四五年九月一一日第二小法廷判決・刑集二四巻一〇号一三三三頁参照。)、これを変更すべきものとは認められないから、所論は、理由のないことが明らかである。

同第二点について

所論は、量刑不当の主張であつて、刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない。

よつて、同法四〇八条により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 天野武一 裁判官 江理口清雄 裁判官 高辻正己 裁判官 服部高顯 裁判官 環昌一)

○昭和五二年(あ)第一二四〇号

被告人 小田木定雄

弁護人柴田政雄、同鹿児嶋康雄、同浅田千秋の上告趣意(昭和五二年九月二八日付)

第一点 原判決は憲法第三九条の解釈に誤りがあり、よつて原判決は破棄されなければならない。

一、弁護人らは原審において、逋脱罪における罰金と追徴税殊に重加算税の併科が後者は行政罰、前者が刑事罰であることのみを理由として合憲である旨の従来の判例に対し、その不合理性を指摘し、右併科が違憲であることを主張した。

二、(一) しかるに右判決は従来の判例を引用し、右が憲法三九条に違反しないことは従来の最高裁判所判例の述べるところだとして弁護人らの主張を退けている。

(二) 右原審判決に引用されている最高裁判所判例は一貫して次のように説明する。

加算税を課するのは、行政上の措置たるにとどまり、刑罰としてこれを科するものではなく、従つて逋脱犯を構成する場合には、他に刑罰たる罰金に処しても、憲法三九条の規定に違反するものではない。追徴税は申告納税の実をあげるために、本来の租税に附加して租税の形式により賦課せられるものであつて、これが制裁的意義を有することは否定しえないところであるが、前記のとおり逋脱犯に対して課せられる罰金とはその性質を異にするものである。すなわち、逋脱犯に対すり刑罰が脱税者の不正行為の反社会性ないし反道徳性に着目し、これに対する制裁として科せられるものであるのに対し、追徴税は、単に過少申告、不申告による納税義務違反の発生を防止し、以つて納税の実を挙げんとする趣旨に出でた行政上の措置であると解すべきである。法が追徴税を行政機関の行政手続により租税の形式により課すべきものとしたことは追徴税を課せうるべき納税義務違反者の行為を犯罪とし、これに対する刑罰として、これを課する趣旨でないことは明らかである。

三、(一) 憲法第三九条後段はつとに指摘されているとおりアメリカ合衆国憲法修正五条における二重の危険禁止の規定に由来、しかも右規定はそもそも古くローマ法における「何人も同一犯罪について二度処罰されることはない」という原則にその起源を有するものである。してみれば、憲法第三九条後段にも同じく、同一の行為について再度処罰を受けることがないこと、すなわち国家権力により同一行為につき同一処罰を二度科せられることのない趣旨を根庭に有するものであることがうかがわれる。

(二) さらに、現在学説において、行政手続と人権保障の問題が論ぜられ、日本国憲法の手続的保障の諸条項が刑事手続を眼中においていること、従つて行政手続についてはその精神がせいぜい準用されるべきであるという従来の通説的見解に対し、現代国家において増大してやまない行政権力に対し憲法の認める手続的保障の趣旨に鑑み何らかの手続的保障の枠を設定しようとする学説の進歩は判例においても斟酌さるべき重要な問題である。現に我が憲法の母法ともいえる合衆国憲法においてもその文言が刑事手続を念頭においているにも拘らず、判例によつてその保障を拡大していることを参酌したものであろうが、ともかく、現代国家における行政権力の行使は(行政目的による多少の変容は免れないとしても)国民にとつて、刑事手続におけるそれと同様手続的保障を必要としていることは異論のないところであろう。そして、本件における追徴税も右の点を斟案し、かつその実質的性格に照して国家権力による二度の処分として再考されなければならないものである。

(三) ところで追徴税が制裁的なものであり行政罰の性質をもつていること、また、追徴税が税金の賦課という形式でなされるとすればそれが被告人に存する利益を剥奪する意味を持つていることは判例の認めるところである。

ところで例えば刑法二五六条第二項に規定する賍物罪においては懲役刑と罰金刑を併科しているがこれは利欲犯的な本犯の性質上、被告人にその利得を残存させず金銭的苦痛をも与えるということがその立法趣旨であることは明らかである。

(四) このように考えてくると、本件において追徴税の外に罰金を課することは明らかに二重に被告人から利得をはき出させているものであることがうかがわれ、また、一般社会通念から考慮しても国家権力によつて同種の制裁を二重に受けたとの感じをもつことを否めないのである。

四、以上のとおり、すでに追徴税が行政上の措置、罰金が刑罰であるという従来の判例における形式論は、両者の実質、すなわち双方とも脱税を理由として課せられるものであること、又、処分主体も国家権力という同一のものであること、又、被告人に対する処分結果が共に金銭的苦痛を与えるものであることなどを考慮すればもはや変更されるべきものであることは明らかであり、これは法体系全体の統一的把握という側面からも首貢される結論である。

以上の次第であるから原判決は憲法三九条の解釈を誤つたものとして破棄するべきである。

第二点 原判決の刑の量定は甚だしく不当であつて、これを破棄しなければ著しく正義に反することを認める事由がある。

一件記録に徴すれば明らかなとおり、本件逋脱の責任の大半は柴田守雄の所為と同人と税務署との癒着関係にあるものであるにもかかわらず、これを看過しながらひとり被告人の責任を問うのは酷であり明らかに公平に反するものである。

しかも、一件記録に徴すれば明らかなとおり、第一審判決認定逋脱額は二年分で合計三八、〇〇五、五〇〇円であるところ、同判決罰金額はその割合にして二割一分以上になつており従来の判例における罰金額の量刑と比しはなはだしく不当である。一件記録によつて明らかなとおり被告人は、昭和四一年分については同四二年一〇月二一日所得金額一五、五九五、八六七円について自主的修正申告をなし納税しているのであるから、右を基礎にして逋脱額を算定すれば勿論、仮にしからずとするも少なくとも右の点を情状として考慮すべきであつたのである。

また、一件記録に徴すれば明らかなごとく被告人は最終課税所得一億三四七余円の実に九五パーセントをも各種付加税として前記修正申告を無視して賦課されており被告人はすべてこれを納付しているのである。そして右の賦課自体が刑罰と同じ効果を上げているのにかかわらず、さらに八〇〇万円もの罰金に処すること自体著しく量刑が不当であり、従つて右事由によつて原判決は破棄さるべきものである。

以上

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